128: 1 2018/11/02(金)00:26:18 ID:Pn6
綺麗なオチもないし、きっと他人から見るとくだらないことで…と思われるかもしれないけれど、
とにかくなんだか誰かに聞いてほしい気分になってしまったのでお目汚しとは思いますがお付き合いください。

両親は私が小学生の頃離婚して、私は父に引き取られた。
母はとにかく私が怪我、体調不良になると怒った。怒り狂ったと言ってもいいと思う。

頭がガンガンすると言えば「なんでそんなワケわかんないこと言うの」
打った場所がじんじんすると言えば「そんなワケ無いだろ、嘘を言うな」
旅行でロープウェイに乗った時に耳がキーンとする、と言ったときも「なんでこの子は人前でデタラメ言って」
って怒鳴られて1人で帰っていった。
小学4年生のときに父が離婚を決意し、親権も母はいらないといい争うことなく父に引き取られた。

月日は流れ私が婚約をしたとき、一応母にも報告だけは、と母の実家に電話したら祖母が出た。
母は自分の両親とも仲があまり良くないようで、離婚直後は身を寄せていたがすぐに出ていっていた。
祖母は母の連絡先は知っていたが、あまり連絡を取り合っていないらしい。
しかし祖母は両親が離婚してからはもちろん、結婚していたときも母が嫌がって滅多に会うことがなかったのに会いたい、
祝いたいと言ってくれて、あちらの近所の店で会うことになった。

大きくなったね、会えなくてゴメンね、図々しいと思うがたった1人の孫なので祝わせてほしいと言ってくれて、嬉しくて泣いてしまった。
そのときに母の話になり、私はまだ小さく母が私の何に怒っていたのかわからなかった、母は何に怒っていたのか、
何を直せばよかったのか、と尋ねた。
祖母はそんな事気にしては駄目、と言ってくれたが、今後子供ができたときに、母と同じ事をしないようにしたい、
と説明したら話してくれた。といっても祖母もわからないと言う。
母は昔から癇癪持ちで、はたから見るとどうして、としか思えないようなタイミングで怒鳴り散らしていたらしい。
離婚直後は?
「あの子(私)はワケわからないことばかりだった、バカにしてたんだ」
「頭が足りない、いらない」
「一言ですむことをグチグチいやらしい」
と母は祖母に言っていて、祖母はそのたびに子供がそんな事考えない、いやらしく捉えているのはアナタ(母)だ、
と言ってくれたらしいが、結局出ていってからはほとんど連絡も取れないらしい。
その日は母への連絡は少し考えさせてほしいと言われたが、祖母だけでもぜひ両家の食事会に来てほしいと伝えて帰った。

129: 2 2018/11/02(金)00:27:12 ID:Pn6
それからちょっとずつ昔のことを思い出していった
よく言われたのは「ワケわからないことばかり言うな」だった。
だから私は、特に体調が悪い、どこか痛い時は一生懸命説明するようになった。
小学生に上がった頃には、病気になったときには母より医者の質問には「どこがどういう風に痛いか」と言えるようになっていたと思う。
でも母は時には医者への説明を遮ってまで私を叱ってきた。「人前でそんなおかしいこと言うな」と。
そうしているとふと、私以外の理由で不機嫌になっていたシーンが思い出された。
よく薬のCMにグチグチ言っていたと思う。他にも井戸端会議のあと「あんなこと言ってバカなんだ」とぼやいていた記憶がある。
そういったものを中心に思い出してみると、もしか。してと思うものがあった。
母は、「体の変化を表す擬音」が嫌だったのではないか。
確証はなかったけれど、そう思うと納得のいくことが多い。

後日食事会の日取りが決まったことを祖母に伝えるために会ったときに、この仮説を話してみた。
そうしたら祖母も思い当たることがあるという。
母は小さい頃から「どういう風に痛い?」という質問には「痛い」としか答えなかった、と。
母は私と違い小さな頃から健康で、病院にかかることも少なかった。しかしそうは言っても子供なので、当然病気になるし怪我もする。
その時にどれだけ「お腹がどういたいの?ガンガンする?ジクジクする?」と質問しても「痛い」」と言うばかりだったという。
すべり台から落ちて病院に連れて行ったときも、「ここがジンジンする?」と医者に聞かれても「痛い」としか返事をしなかったらしい。
そして大抵こういう時、最終的に母は癇癪を起こすらしい。
祖母はこういうときに母が医者にまで怒っていたのは母が癇癪持ちだから、体が弱っている、
痛みがあるところにしつこく質問したせい、自分の聞き方が悪かった、気が利かなかったからだと感じていたので、
今まで母がこちらの言っていることを理解していないなんて思いもしなかった。
しかし「体の変化を伝える擬音が理解できない」と仮定すると、確かに他人に文句を言い出すきっかけは
「自分にわからない表現を使っている」ということが切欠のように思えてくる、と祖母は言っていた。

しかしこの段階ではあくまで仮定。それどころか、私の「こうだったら」という願望でしかない。
なので、私はいっそ母本人に聞いてみようと思った。
父には母のことは忘れなさい、と言われ、祖母は私に会ったからそんな事を、と気を使わせてしまった。
しかし最初に祖母にも言ったように私自身が母と同じようなことをしないか不安だったことと、
今でもうまく言えないけれどこの仮定が正しかったんなら、それなら本当にもう母を気にせずにいられるようになると思った。

なので祖母から連絡先を聞いて、自分で電話した。
1回目は繋がらず、2回目で繋がった。
あんなに緊張していたのに、いざ繋がったら会社での電話対応みたいに淡々と言葉が出た。
でも頭はフワフワすると言うか、後から思えばなんだか幽体離脱してそれを眺めている気分だった。
以外にも母はすんなりと電話口の相手がたしかに私だと認め、会うことを了承してくれた。
電話を切った後のほうが汗がドッと出てきて、手が震えて息が苦しくなった。
祖母と会った後一生懸命なんで怒られたのか思い出していた時は平気だったのに、
母の怒鳴り声が思い出されて怖くて怖くて声を上げて泣いてしまった。すぐに会う約束をしたことを後悔した。

けれど今更やめることもできないし、落ち着いた後はやはり自分にとって母はトラウマのようになっていたこと、
それを自覚したからには、やはり会わなければいけないと強く思った。

130: 3 2018/11/02(金)00:27:49 ID:Pn6
当日私はスーツを着ていった。スーツなんて仕事でも滅多に着なかったのに。
待ち合わせ場所の喫茶店には、先に母が着いていた。ひょっとしたらわからないかも、と思っていたがそんなことはなく、すぐにわかった。
おまたせしました、と声をかけたら、「久しぶり!」と明るく言われて戸惑ってしまった。
母はよく喋った、と思う。けど内容は結婚おめでとう、髪中途半端だね、伸ばしてる?みてベリーショート、歳取ると伸ばすのもね〜というものを矢継ぎ早に言われ、とにかく表面上の最近の話題ばかりで、父にも祖母にも、
一緒に住んでた時の話にもしないようにしているように感じた。思い出せば大きくなったね、とは言われなかったな。
当然そんな風に話題をポンポン変えていけばすぐに話せそうな事は尽きて、お互い喋れなくなってシーンとなった。
ここしかない、と思い、一番の目的である「なぜ私は怒られていたのか」
「その理由は、私が擬音をつかっていたからではないか」と聞いてみた。
スムーズに喋ることはできなくて、私がつっかえるたびに母は「そういえば」と話題を変えようとしたけれど、
私はそのたびに聞いて、と遮って、話し続けた。
私が伝え終わると母は難しい顔をして、さっきまでとは打って変わって黙ってしまった。
逆に私のほうが沈黙に耐えられなくて、ジンジンとか、ガンガンとか、そういう表現がわからなかったんじゃないか、
だから、ワケわからないことを言うなって叱ったんじゃないか、私の説明が悪かったんじゃないか、
一回ロープウェイそのまま降りたことがあったよね、あれは私が耳がキーンとするって言ったのが不快だったんじゃないか、
胃薬とかのCMが流れるとすぐチャンネル変えたの、思い出したの、あれムカムカって表現嫌だたの?と早口で捲し立てていた。
そうしたらガチャン、とテーブルをはたく音がして。けど、怒鳴られはしなかった。
けれどすぐに母は「それでいいよ」とだけ言って、席を立っていった。
私は音がなった時点で体が固まって汗と震えが出てしまっていて母を見送ることはできず、遠くで店の扉についてるベルの音がして、ようやく体が動くようになった。
テーブルを見ると厚い封筒があって、涙が出てきて、そのまま店員さんに声をかけられるまで泣いてしまった。
ただテーブルが音を立てたときに体だけじゃなくて頭も固まってしまっていて、たしかに「それでいいよ」
と言われたのに、それがどんな抑揚で言われたのかが今でもまったくわからない、思い出せない。
吐き捨てるように言われたのか、優しく言われたのかすらわからない。ひょっとしたら、
「それでいいよ」と言われたのは私の妄想なのかもしれないとすら時々思う。
ただ、たしかにもういいんだと思えた。

その日有給を取っていた父は私が目を真っ赤に腫らして帰ってきてびっくりしていたけれど、
私が「もういいんだ」と言ったら「そうか」とだけ言ってくれた。
祖母にもそう伝えたら、やはり「ならいい、よかった」と言ってくれた。
そこからは母の話題が出ることはなかった。婚約者にも家庭環境は一番最初に説明していたから、そこは特に問題にならなかった。
ただあの封筒の中身だけは「祖母経由で送られたもの」と嘘をつたうえ、
「これは子供が生まれて、独立するときに渡したい」と我儘を言ってしまった。
でもすぐに了承してくれて、気が早いけど子供用の口座を作ろうか、毎月いくらいれようかな、なんて言ったのでつい笑ってしまった。

結局私が立てた仮定が正しいかどうかが証明されることもなかったし、母にもアレ以来会っていない。
今後もきっと合うことはないのだと思う。でももう私はそれでいいし、きっとこれでいいんだと思う。私は十分幸せだ。

今日、もう昨日だけれど子供ができたことがわかったから、母との事を改めて書き起こしてみた。
日記に書いておくだじゃ物足りなくなって、なんだかソワソワしてしまったのでカキコ。

137: 名無しさん@おーぷん 2018/11/02(金)06:49:38 ID:qGM
>>128
お疲れ
妊娠おめでとう
赤の他人だけど、あなたの仮説は合ってると思う
彼女は、自分について指摘されるのが嫌だったんだと思う
子供の頃からの癇癪持ちってのも、離婚して我が子を手放した経歴も、
他人から陰に日向に非難されて来ただろうし、実の娘もやっぱり自分を責めに来たと
感じたのかも(もちろんあなたのせいではない)

決着がついて良かったと思う

引用元:・何を書いても構いませんので@生活板68