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職場の三十路ブリッコ女にずっといびられてた。

2人きりになった時だけ絡んできて、嫌味を言われたり、根拠の無い言い掛かりをつけられたりした。

とにかく陰湿だった。

その女は他の人の前ではいい子ぶっていたし、私もいびられてる事を黙っていたから表沙汰になる事はなかった。

ある日どうにも我慢出来なくなった。


5年前、半年同棲してた彼女にエグい浮気された。

物凄く頭に来たから仕返ししてやろうと思って、気付いてたけど気付いてないフリして、ある日いきなり気が狂ったフリをしてやった。

夜中に全裸になって真っ暗いキッチンで、ウーウー唸りながら四つんばいになって、生牛ロースかじったり、空中の虫を払うように手を大きく振り回しながら

「帰れ! 帰れ!」

と叫んだりしてみた。


結構長く一緒に暮らした人間が、ある夜突然に狂うってのは、やっぱショック大きかったらしく、彼女、大号泣しながら「どうしたの? どうしたの?」って取り乱してた。

これは効いた!と思ったから、とどめにババアみたいな声で「お前さん、知らない男の匂いがするねェ~」と言いながら肩に手をポンと置いてニターッと笑ったら、彼女、裸足のまんま家飛び出した。

それ以来会ってない。


地方実業系バカ高校の併設普通科出身なんだが、周りはみんな高卒就職や専門学校希望ばっかりで、大学進学を希望して担任に、授業内容の改善要望を出し続けた俺は、音楽以外の全教師に目をつけられ、内申書がボロボロだった。

結局、受験レベルの授業をしてもらえなかった俺は、一浪して地方駅弁医学部に入ったんだ。

夏休み、高校に挨拶に行ったら、校長に呼ばれ「君は本校開学以来初めての医学部合格者だから、ぜひ全校生徒と父兄の前で、勉強法の講演をしてくれ」と言われた。

もちろん、受けた。

満場の聴衆の前で、何を喋ったかは想像つくと思うが。

以後一切連絡がないし。

その学校から2人目の医学部合格者が出たという話も聞かない。


20歳頃付き合ってた、5歳年上の女がすごい生意気だった。

最初は俺が惚れて、1年ぐらいかけてやっと付き合えたのだが、俺が下手に出すぎたのか俺はペット状態。

口ぐせは「達也(俺)のくせに生意気」


さんざん自分の事をゴミクズ、低脳扱いして、鬱病に追い込ませて、退職に追いやった先輩の働くショップへ。

あくまでも「客」として来ている自分に対し、あの時の虐めは嘘であったかのように、タメ口で話しかけてきた。


中学校で教師をしていた時、理不尽な反抗を繰り返す才女がいた。

一流の高校・大学を卒業して、教職試験を受けた。

テストは最高クラスであったが、面接でバッサリ落とした。

胸が晴れたのかどうか、未だに判らないが・・・


父は多額の借金を背負わされ、自殺に追い込まれてしまった。

仕組んだのは仕事の同業者。

葬式の日、偶然それを聞いてしまった。


603 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/08(月) 22:15:13

アメリカには「アメリカの企業に勤め、オランダの家に住み、中国人の料理人を雇い、日本人の妻を貰うのが最高の人生」ということわざがある 。

 

606 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/13(土) 19:26:53

『中国の企業に勤め、日本の家に住んで、イギリス人のコックを雇い、アメリカ人の妻をもらう』 …が603の逆パターン、つまり不幸な生活らしいよw


土曜日、一人娘の結婚式だったんさ。

当時俺25歳、嫁33歳、娘13歳。

まぁ、要するに嫁の連れ子だったんだけど。

娘も大きかったから、多少ギクシャクしながらも数年過ぎた。

子供はあえて作らなかった。

収入の問題もあったけど、娘の気持ちを考えたら、子供は娘1人いればいいって事になった。

 

突然嫁が交通事故で逝った。


結婚して子供が出来て、ホカホカした食卓にみんな笑顔で並んでたりして、ときどき泣きそうなくらいの幸せを噛み締めるなぁ。


大病して入院してた。

最近やっと退院。

仕方ないとは言え、胸から腹にはザックリ手術の跡が残った。

「まぁ若いねーちゃんじゃあるまいし、命にも変えられないけど、みっともいいもんじゃないな」と嫁に言ったら、「何言ってんの! その傷はあなたが病気に勝った努力の勲章じゃない!」だと。

しみじみ、結婚してよかったと思った。

マイナス思考なんで、入院中もずいぶん弱気な事言ってしまったが、嫁はそのたび前向きな言葉で励ましてくれた。

今考えれば死ぬかもしれない旦那抱えて、もろもろ大変だった上に、励ますなんてものすごく消耗しただろうに。

頑張れとかも言わず、凄く気を使った励ましの数々で、ああ、そう考えればいいのかと思わせてくれた。

嫁がいなかったら潰れてたかもな。どうお礼しようかと思ってるよ。


2年前情けないけど、会社の上司の虐めにあってた俺。

どれだけ働いても評価もされず、成果は横取りされ、クレームは全部俺のせい。

我慢しきれなくなって会社を辞めた。


俺、一人っ子なんだけど、母親との関係が微妙だった。

11歳の時両親が離婚、母親に連れられて再婚、しばらくしてまた離婚。

その間に実の父親は死んでたし、再婚相手からの暴力とか、名前が何度も変わったり引っ越したりとあって、いつも母は仕事で居ないし、いても疲れてて機嫌の悪い母とはどんどん距離が出来て、恨むようにもなっていった。

 

思春期で多感なせいもあったんだろうが、どうしても許せない存在だった。

家を出てからはずっと音信不通、結婚も別に義務的な報告でしかなかった。

後ろめたくも思いつつ、どうする気にもなれなくて。

 

でも今は嫁が間に入ってくれてな。

幼稚な俺を責めもせず、ちょくちょく一人で母親の所に顔を出して、子供が生まれてからはお泊りまでしたり、旅行行ったりメシ食ったり。多分母も屈託のない嫁にだから心を開けるんだろう。

 

ポツポツと俺の話もするらしく、「申し訳なかったって泣く事もあるの」よって。

まだ母とはお互いにギクシャクしてるが、いつか和解できるのかもしれない。

嫁任せで申し訳ないが、嫁がこういう女でよかった。

時間はかかりそうだが、歩み寄ってみるよ。


親父がガンなのが発覚した。

それも手遅れで、手術しても意味がなく、状態が進みすぎてて、強い抗癌剤も使えなかった。

嫁さんが、病気発覚から全部仕切ってくれた。

宣告されて、俺も親父もお袋もボーゼンとしている中、しっかりとあれこれやってくれたのは嫁さんだった。


高校生の頃から交際して、21歳で結婚、すぐに長女が生まれた。

長女はかなり厄介な病気と身体障害を持って生まれて来た。

嫁は娘の世話で精神的にも身体的にもやられて育児ノイローゼ。

俺も仕事のストレスが酷かった。

ハタチそこそこなのに髪が禿げてね。

妻子さえいなきゃすぐに辞めてるような、本当に酷い会社だった。

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